★素報と粗報について(中途半端な報告は混乱を招く) [コミュニケーション]
野村胡堂の時代小説『銭形平次』の平次親分に“ガラッ八”という子分がいて、このガラッ八が事件が起こると『親分!大変だ!大変だ!』と飛び込んできて親分にご注進に及ぶ。
私はこの種のご注進を『素報』(そほう)という言葉で表現している。
『素報』の『素(そ・もと)』とは素材レベルを言っていて、いわゆる事件の背景、現場の事実関係などの把握、初動調査も無いままの事件発生『連絡』であり、『情報』とか『報告』とは明確に区分している。
この大衆時代小説では、平次親分はこのご注進レベルの『素報』すなわち連絡を受けて事件の真犯人を自ら先頭に立って探索し、親分の類い稀なる推理力、現地・現物による状況観察力、データ解析能力でまさしく個人的能力が事件の解決を可能にしているというストーリーとなるのであるが、相手が平次親分であるから『素報』も許されるのであろう。
ところで本稿で言っているもう一つの『粗報』(そほう)とは何か?
ある企業の管理者が、事業部トップであった私と同時並行で経営トップに品質問題の報告(?)をしたことがあった。それはよくある宛先、Cc等の連名メール配信によるものだった。
経営トップはそのCcメールを受け取るや否や、社の関係者全員に叱責を込めた是正指示を矢継ぎ早に出し、事情を知らない関係者を巻き込んだ混乱の事態に発展した。
当事者であるべき私から見ればその管理者の初期報告は、先のガラッ八の『素報』ではなく、私が言うところの『粗報』すなわち『粗雑報告』そのものであった。
すなわち、事実・データに正確に裏うちされたものではなく、事実関係も三現(現場、現物、現実)で確認せずに一面的にしか見ていない、裏付けにも欠如が認められる『粗報』そのものだったから、混乱するのも当然のことであった。
企業において、特にメール環境が整った企業においてよく見られるこの種のトラブルが往々にしてある。
企業は組織体である以上、報告、情報の伝達にも一定のルール、基準があってしかるべきであり、ましてや直接上司への報告と企業トップ報告が同時であっていいのだろうかと思ったことであった。
最近もあったが、私が指導中のあるテーマを持ったワーキング作業中のPCデータが、担当者から管理者にCcメールで配信された。担当者からみれば『こんなワーキングをやっています』との作業状況をCcメールで知らせておきたいとして参考に配信したのだろうが、私としては作業中の中途半端な情報を流すべきではないとの指導をすることになってしまった。
指導者の立場からしても、未だその指導、ワーキング途上にある、言うならば十分に完成していない情報すなわち『粗報』を流されたのでは、ある意味立つ瀬がないということにもなるだろう。
これは先の話の『素報』ならまだしも、『素報』にもならない『粗報』だというべきものであった。
スピードを求めるあまり、こんな粗雑情報、未完成情報すなわち『粗報』は、それ自体が独り歩きし、場合によってはその『粗報』で関係者が右往左往することにもなりかねないので、特に企業人、ビジネスマンは気をつけたいものである。
気遣い、心遣いである。
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