★話し言葉の「5定」を大切にしたい(その2) [5S・5定]
前記事に続いて『話し言葉の5定』についてである。
東北関東大震災に関するTV報道におけるコメンテータや当事者の評論は、原発事故を含めてその一つひとつに関心を持ち大事にしているが、何故か腹立ちを覚えることが多い。
専門家でないが故の手出し口出しのできない無力感、もどかしさがそうさせるのだろうか?
今回は、一昨日出社前の短時間でTV報道を見て感じたことを書いてみる。
◆[防波堤(防潮堤)には一定の効果があった]との発言;
今回の津波被害に関して、どこかの準教授が『防潮堤は一定の効果があった』と語っていたが、真意はどうかわからないが私には全く納得できない。
助かった方にとってはそうかも知れないが、亡くなった方やご家族にとっては決してそうとは思えず、『もっとしっかり対策してくれていたら…』と思うに違いないからだ・・・。
もし亡くなった方がものを言うことができたら、『自分たちは、一定の効果すなわちある種のざる(笊)でふるい落とされたのか?』と言うに違いないと思うが・・・。
◆[足りていなかったことこそ評論すべし];
私は災害や危機管理は、それが人命に及ぶものに関しては『足りていたことを評価するのではなく、足りていなかったことを反省すべき』と思っている。
今回の災害も、足りていなかったことをしっかり論議して今後どうそれを克服するのかが問われ、求められてはいないか?
苦痛ではあるが足りなかった事実は事実として認め、それをこの先の『災害の未然防止』にどう活かすのか、学習機会をもっと大切にしたいものだ。
◆[現実的には・・との言いわけ];
おなじ評論の中で『あれほどの津波を防波堤で止めることは現実的には無理で、あとはいち早く逃げること』だとも語られていた。
私は政治家や評論家、或いは企業の管理者の『現実的には・・・』の言いわけ、逃げ口上にも許せない気持ちが嵩じるが、この『現実的』という言葉は、これもよく言われる『想定外』に相通じるものを感じる。
そこでいう『現実』とはどんな裏付けをもった現実なのか、『想定』もどんな裏付けをもった想定だったのか、『世界、国内の専門家、有識者の衆知を結集した結果』だったのか?
思い込みや限られた経験のうえでの『現実』であり『想定』ではなかったか、そんなことを思っている今日この頃である。
記事タイトルの『言葉の5定』とは、前の記事でも書いたように、
・定位;自分の立場を考え・・・・・自分の地位、資格、ポジションをわきまえる
・定量;具体的な数値で・・・・・・定性的、観念的な表現を避ける
・定時;タイミング良く・・・・・・現時点、現状の事態を考える
・定品;テーマを明確に・・・・・・何を伝えたいのか主題を明確にする
・定質;わかり易く相手の立場で・・相手の対場で受け止めが違うことを知る
である。
特に国家の危機、国民の生命に関わり、それを論じる人は、政治家であっても学者であっても、はたまた経営者であっても、この『言葉の5定』を大切にして頂きたいと切に念じている。
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