★久しぶりの投稿;「何をしたかではなく何を残したか」 [人材育成]
【永い空白でしたが約10ヶ月ぶりの復活です! 】
定年到達されたB.氏のお祝いの会が先日の13日(金)にあった記事はもう一つのブログで紹介したが、そちらは趣味のブログでもあり語る言葉も限定したものであった。
その定年に到達されたB.氏とは今の企業の仕事で3年ばかり直接関係し、品質マネージメントや新5Sを進める中で『QC的なものの見方・考え方』などなど幅広く共有化することができて私の仕事も随分捗ったかにみえたが、残念ながら途中で異動される羽目になった。
本人のQCに関わる力量や経験を必要とする別な組織があっての異動と思われるので私も前向きにとらえ、きっと定年を過ぎても本人の活躍の場が多々あるものと期待し、お祝いの花束贈呈に合わせた一言が、
「私たちにとって重要なことは何をしたかではなく、何が残せたかですよね。これから先も引き続いて人づくり、後継者の育成、崩れない仕組みづくりに尽力されるようお願いします。そしてそれらを品質文化・風土として次代につないで行ってください。」
だった。
実は筆者は今まで三度の定年を経験し、今また別な企業でQC関連の仕事の場を頂いている。
一度は最初に数十年勤めた企業で役職定年と同時にリタイヤした時であり、二度目が次の企業の本社で4年間勤務して60歳に到達した時で、その企業の別な事業所に異動して勤務延長の機会を与えられ、その延長期間を全うした時に三度目の定年を迎えたのであった。
そしてその時々に自分を振返って思ったことはいつも「自分に何が残せたか?」であった。
もちろん自分自身では多くの後継者や仕組みを残せたと自負し、今そのメンバーが一流企業の幹部など重要なポストについて活躍している情報を知るにつけ喜びを感じている。
因みに「あれもやった、これもやった!」の「やった!やった!」は自己満足であることが多いが、「あれが残せた、こんなことが引き継がれている。」といったことは後に残された後継者や第三者が評価することであるから、この後継者や第三者に評価され、歴史が証明してくれる「残せた!」になりたいものである。
今年は最初の勤務時代のQC部門の配下だったメンバーが「同窓会」(実は8年前にもやってくれた)を企画してくれるという話もあって、今から大いに楽しみにしている。
なお私の実務経験の中からモノづくり現場の実例に沿った「QC的なものの見方・考え方」というタイトルのQC教育テキストを作成しているが、一般市販書籍として『QC的ものの見方・考え方』(日科技連;細谷克也著)のあることを紹介しておきます。
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