★このまま『片想い』で終らせたくない! [人材育成]
恋の片想いの話しではない。
『今にして知りて悲しむ父母がわれにしまししその片おもひ』
これは『親の心子知らず』ともいうべきことを歌にしているが、それは親が子に想いをかけた片思いの歌である。
もうずいぶん昔(?)の話であるが私の3才年上の姉が交通事故で亡くなった。
すでに父は亡くなっていたが、母が健在の頃であったからその落胆ぶりは形容しがたいものであった。
姉は不慮の事故とは言え、突然母の子を想う深い『片想い』を残して先に逝ってしまったが、姉はどこまで母親の『片想い』を知っていただろうか?
母には娘を想う悲しい『片想い』だけが残った。
一方、姉の運転する車に無謀にも対向車線に出て正面衝突した車の若い運転手は、姉の告別式会場に親に連れられて謝罪に来ていたが、この青年もその親に大きな『片想い』をさせてしまっていた。
『親の心子知らず』
実はこのブログ記事の本筋は実の親子の話題ではなく、私が今まで三つのモノづくり企業に勤めてきて、その仕事を通じて『人づくり』こそ我が最大の使命と思い、その時々の配下や関係者に親ならぬ私の心を伝えたいと『ものの見方・考え方』というタイトルで数十編いや数百編になろうか小文を書き綴って来て、今それをこのブログで再編集しながら順次投稿しているところでもある。
先の記事の『何をしたかでなく何を残せたか?』でいうなら、多くの私の小文が冊子やPCデータとして残ってはいるが、私が本当に残したかったのはこの文書ではない。
そこで語った私の想いが相手の心に残ってこそ『残せた!』と言えるのだろうと思う。
折に触れ、何かの時にその相手が語ってくれる言葉の節々に、私が語った『ものの見方・考え方』が形を変えて語られる時、さらにそれがその人たちの行動にあらわれる時、たとえそれがほんの一部の人であっても大いなる満足感を覚えるのである。
『彼岸花(相思花)』
韓国ではナツズイセン(夏水仙)のことを花と葉が同時に出ることはないから『葉は花を思い、花は葉を思う』という意味で『相思華』と呼ぶらしいが、彼岸花も同じく花と葉が同時に出ることはないので彼岸花も『相思花』と呼ぶことが多いらしい。
彼岸花は永遠の片想いであるが、記事前文はそんなことを期待してはいない。
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